なんでもテスト

「遊びが仕事で、仕事が遊び」、そんな自由を愛する進化中毒のブログ

誰にも気づかれないところに金を使わない。現代の節約ハック

最近、思うことがある。

俺たちは「必要だから」ではなく、「新しいから」という理由で金を使いすぎているんじゃないか。

最新スマホ、そこまで必要か?

たとえばスマホ。

最新のiPhoneが出る。

新しいCPU。
新しいカメラ。
新しい機能。

毎年、ものすごい勢いで性能が更新されていく。

でも、一年前のスマホを使っていて、

「それ、一年前のモデルですよね?」

なんて言われることは、ほとんどない。

ケースに入れてしまえば、なおさら分からない。

そもそも他人は、あなたのスマホをそんなに見ていない。

美容室でSamsungのZ Flipを使っていたとしても、

「あ、折りたたみのやつだ」

くらいの認識で終わる。

それが最新世代なのか、一世代前なのかなんて、わざわざ話題にならない。

スマホの性能について話す機会だって、よほどの電子オタクか、仲のいい友達と少し自慢する程度のものだ。

つまり、

最新機種に払った数万円の差額が、他人から認識される機会は極端に少ない。

ここに、節約のヒントがある。

「誰にも気づかれない差」に金を払わない

別に最新スマホを買うなと言いたいわけじゃない。

最新カメラが必要な人もいる。
仕事で高性能な端末が必要な人もいる。
新機能そのものが欲しい人もいる。

そういう人にとっては、最新機種を買う意味がある。

でも、

「ネットを見る」
「SNSを見る」
「動画を見る」
「写真を撮る」
「AIを使う」

くらいなら、一年前の機種でも十分なことが多い。

だったら、型落ちを買う。

浮いた数万円を別のことに使う。

この考え方はスマホだけじゃない。

「最新」ではなく「必要十分」を買う

服でも、家電でも、車でも同じ。

最新だから価値があるのではない。

自分にとって必要な性能を満たしているか。

こっちのほうが重要だ。

例えば車。

「車を持つなら新車を買うもの」

という考え方も、実は絶対的なルールではない。

通勤に必要なのか。
買い物に必要なのか。
休日に乗るだけなのか。
何年間使う予定なのか。

そこまで考えると、

「本当に所有する必要があるのか?」

というところから考え直せる。

車も「必要な期間だけ使う」という発想

車はスマホより金額が大きい。

だからこそ、こういう発想が効いてくる。

「車そのものが欲しい」のか。

それとも、

「車を使いたい」のか。

この2つは似ているようで、全然違う。

車そのものを所有したいなら、買えばいい。

好きな車を所有すること自体が趣味なら、それはそれで立派な消費だ。

でも、

「通勤で必要」
「地方で生活するために必要」
「数年間だけ必要」

という人なら、購入以外の選択肢もある。

そこで候補になるのが、カーリースだ。

カーリースは、車を購入して所有するのではなく、一定期間、必要な車を利用するという考え方。

契約期間や走行距離、税金、メンテナンス、契約終了時の条件などはサービスによって違うので、利用前には条件を確認しておきたい。

車にかかるお金を見直したい人へ

※本記事にはアフィリエイト広告を含みます。

節約とは、安いものを買うことではない

節約というと、

「スーパーで10円安い商品を探す」

みたいなイメージがある。

もちろん、それも大事だ。

でも、もっと大きいのは、

そもそも、その支出は必要なのか?

と考えることだと思う。

最新スマホが必要なのか。
高いブランド品が必要なのか。
車を所有する必要があるのか。
毎月払っている固定費は、本当に必要なのか。

一つ一つ、

「これって本当に俺に必要?」

と問い直していく。

すると、意外と削れるものが出てくる。

浮いた金は「自分が本当に欲しいもの」に回す

そして面白いのは、

削ったお金を、ただ貯めるだけが節約ではない。

浮いたお金を、

旅行に使う。
服に使う。
勉強に使う。
投資に回す。
新しい経験に使う。

つまり、

「どうでもいいところの支出を削って、自分にとって重要なところに金を移動させる」

ということ。

これが、本当の意味でのコスパなんじゃないかと思う。

最新だから偉い、わけじゃない

最新機種を買うことが悪いわけじゃない。

新車を買うことが悪いわけでもない。

ブランド品だって、欲しければ買えばいい。

ただ、

「他人に見せるためだけの数万円」と「自分の人生を動かす数万円」は、同じ数万円でも価値が違う。

ここを意識するだけで、消費の仕方はかなり変わる。

最新を追いかけるのではなく、

必要十分を見極める。

そして、浮いた金を自分の本当に欲しいものへ移す。

これだけでも、毎日の生活は少しずつ変わっていく。

節約とは、金を使わないことではない。

「金を使う場所を、自分で選べるようになること」なのだ。

周央サンゴの中の人、絶対中学生じゃない説。6年経っても中1なのなんで?

ンゴちゃんの中の人、絶対中学生じゃないだろ。

……という話をしたい。

いや、もちろん中の人の年齢を知っているわけではない。

そんなものは知らないし、別に暴こうとも思わない。

ただ、ンゴちゃんを見ていると、 どうしても一つの疑問が浮かんでくる。

本当に中1か?w

そして問題は、そこじゃない。

6年経っても中1なんですよ。


まず、6年経っても中1

ンゴちゃんの公式プロフィールを見る。

学院中等部の1年生。

なるほど。

かわいい中学生キャラですね。

ところがデビューは2020年8月。

そして現在は2026年。

つまり、ざっくり6年。

2020年 → 中1
2021年 → 中1
2022年 → 中1
2023年 → 中1
2024年 → 中1
2025年 → 中1
2026年 → 中1

……。

進級しろw

普通の中学生なら、

中1 → 中2 → 中3 → 卒業

である。

ところがンゴちゃんは、

中1
↓
中1
↓
中1
↓
中1
↓
中1

何年やっても中1。

もう留年とかいうレベルではない。

時間のほうが進級を諦めている。


2020年の中1と2026年の中1、同じ中1なのか

ここから少しおかしくなってくる。

2020年の中1。

2026年の中1。

我々からすると6年違う。

6年というのは結構長い。

世の中も変わった。

流行も変わった。

スマホも変わった。

我々も歳を取った。

なのに、

ンゴちゃん「中1です」

強い。

老いないというより、

学年が老いない。


しかも、なんか妙にしっかりしている

そして個人的に気になるのが、喋りである。

もちろん世の中には、ものすごく博識な中学生もいる。

読書家もいる。

語彙の豊富な中学生もいる。

だから、 「中1なのに難しい言葉を知っている!」 と言いたいわけではない。

ただ、ンゴちゃんを見ていると、

「その言葉、中1がそんなスラスラ読む?w」

みたいな瞬間が、ちょいちょいある。

コメント欄に出てくる妙な単語を読む。

難しい言葉も普通に処理する。

ネット文化にも妙に詳しい。

しかも話の拾い方まで上手い。

いやいや。

中1、そんなに仕上がってる?w


声もなんか、おねいさんなんだよなw

さらに声。

もちろん声だけで年齢なんて分からない。

そんなことは分かっている。

でも「中学一年生」という設定を頭に入れて聴くと、

「……おねいさんじゃね?w」

となる瞬間がある。

ガキっぽいというより、 なんか妙に完成されている。

喋り方も。

間の取り方も。

コメントの拾い方も。

そして、何より語彙。

その結果、

「これ、中1というキャラクターを演技力で成立させてるだけなんじゃないか?」

という、しょうもない疑惑が生まれるのである。


そこで思い出す「大山のぶ代現象」

こういうとき、オタクは昔から似たような現象を経験している。

キャラクターは若い。

むしろ幼い。

なのに、そのキャラクターを演じている人間には当然ながら大人としての人生がある。

その代表例として思い出すのが、 大山のぶ代版ドラえもん。

ドラえもんというキャラクターは子供たちの世界にいる。

でも声を当てているのは大人の女性。

当たり前である。

むしろ、それがプロの仕事だ。

キャラクターと演者は別物。

それでもオタクは、ときどきこの二つを勝手に混ぜる。

そして勝手に、

「キャラは少女なのに……」
↓
「演者は……大人なんだよな……」

という妙な現実に戻される。

これがいわば、 大山のぶ代現象。

ンゴちゃんにも、若干その気配を感じる。


オタクの「声優幻滅現象」も同時発生する

そしてオタクには、さらに別の悲しい現象がある。

キャラクターを好きになる。

めちゃくちゃ好きになる。

「このキャラ最高だな……」

と夢を見る。

そして中の人を見る。

現実に戻る。

「……あ🥹」

これが声優幻滅現象。

いや、別に声優さんが悪いわけではない。

こっちが勝手にキャラクターと同一人物だと思い込んで、勝手に夢から戻っているだけである。

ただ、ンゴちゃんの場合は逆方向。

「中1」という設定を見て、

配信を見る。

喋りを聞く。

難しい言葉をスラスラ読んでいる。

そして声を聞く。

「……中1?」

となる。

我々の脳内でだけ、勝手に時空が歪んでいる。


しかも最近の曲まで妙に洒落ている

そして最近リリースされた、 「今夜もみなさんごいっしょに」もいい。

2026年8月17日リリース。

クラムボンのミトが作詞・作曲・編曲を担当している、周央サンゴのラジオテーマ曲。

曲そのものも普通にいい。

こういう日本語のポップスもいいんだよな、と思わせてくれる一曲である。

……で、また思う。

中1、こんな曲歌うんかw

いや、歌っていい。

むしろ最高である。

ただ、 「中1」という設定とのギャップが妙に面白い。


学校でこんな会話があるのかもしれない

 

たとえば、こんな感じ。

先生「そろそろ進級しますか?」
ンゴちゃん「中1です」
先生「……そうですか」

これを毎年やっていると思うと、じわじわ来る。

先生ももう何も言えない。

「中1です」と言われたら、

「そうですか」

しか言えない。

そしてまた一年が終わる。


でも、もし本当に進級したら?

ここで逆に考えてみる。

ある日突然、

「周央サンゴ、来年度から中学二年生になります!」

と発表されたとする。

6年間待った。

ついに進級。

本来なら祝うところである。

しかし、おそらく俺はこう言う。

「いや、そっちのほうが嫌だわw」

だって今さら中2になられても困る。

こっちの中ではもう、 「ンゴちゃん=永遠の中1」 が完成してしまっている。

6年かけて育て上げた時系列バグを、 今さら正常に戻されても困るのである。


結論。中の人より時系列を疑え

結局、ンゴちゃんの中の人が実際何歳なのかなんて、こっちは知らない。

そもそも、そこを考える必要もない。

分かっているのは、 公式設定では中学一年生で、2020年にデビューして、2026年現在も中1。

そこだけで十分面白い。

そこに、

妙に豊富な語彙。

妙に達者なトーク。

なんかおねいさんっぽい声。

そして最近は、妙に洒落た日本語の曲まで歌っている。

もう何なんだ。

頼むから、ずっと中1でいてくれ。

こっちは勝手に歳を取るから。

ンゴちゃんは中1のままでいい。

※本記事は周央サンゴさんの公式キャラクター設定を題材にした、リスナー目線の冗談・ネタ記事です。本人の実年齢や「中の人」に関する特定・推測を目的としたものではありません。

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新車って、本当に買う必要ある? 月1万円台から乗れる「オリコで乗ーる」を調べてみた

車って、いつから「買うもの」になったんだろう。

新車を買う。
ローンを組む。
税金を払う。
保険を払う。
車検を受ける。
そして何年かしたら、また買い替える。

……よく考えると、なかなか壮大なイベントである。

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車って、本当に「買うもの」なのか

ふと思った。

車って、本当に買わなきゃいけないのか?

もちろん、車が必要なら買えばいい。

ただ、 「車が欲しい」=「数百万円払って所有する」 という方程式が、あまりにも当たり前になりすぎている。

でも今は、 車を借りるという選択肢がある。

しかも、ただの中古車レンタルではない。

新車を「所有しない」という選択肢。

ここから話が変わってくる。

所有には、見えないコストがついてくる

車の値段だけ見ていると、意外と見えないものがある。

自動車税。
保険。
車検。
点検。
オイル交換。
タイヤ。
故障。

さらに車を売るときには、そのときの相場まで考えなければならない。

つまり車って、

「本体価格」だけを払って終わり

ではない。

むしろ問題は、 買った後にずっと発生する固定費だったりする。

だから、 「所有すること」そのものを一度疑ってみる。

これが今回のスタート地点。

オリコで乗ーるという別ルート

そこで出てくるのが、 オリコで乗ーる。

これは月々定額で新車に乗るカーリース。

国産車・輸入車など、約300車種から選べるのが特徴。

軽自動車からSUV、ミニバン、コンパクトカー、セダンなど幅広いカテゴリーから選べる。

つまり、

「車を持ちたい」
↓
「でも、買わなくてもいいんじゃない?」

というルートが成立する。

「月1万円台から」のカラクリを冷静に見る

ここで広告を見ていると、

「新車なのに月1万円台!?」

となる。

もちろん、ここは一回落ち着こう。

月1万円台というのは、 すべての車がその金額で乗れる という意味ではない。

車種、グレード、契約期間、走行距離、メンテナンスプランなどによって月額は変わる。

だから、 「誰でも絶対1万円台!」 と理解するのは違う。

ただ、公式サイトには実際に月額1万円台からの車種も掲載されている。

つまり、 「新車は必ず高額ローン」という思い込みを外す材料 としては面白い。

約300車種から選べる

カーリースというと、 「どうせ選べる車なんて限られてるんでしょ」

というイメージがある。

でもオリコで乗ーるは、 約300車種 というかなり広い選択肢を持っている。

国産車だけではなく、 輸入車も対象。

「とにかく安い車に乗る」というより、

「乗りたい車を探して、その車を所有以外の方法で使う」

という考え方ができる。

ここが普通の「安さだけを売りにするサービス」と少し違うところ。

定額にすると何がラクになるのか

車を持っていると、 時々まとまった出費がやってくる。

税金。

車検。

点検。

メンテナンス。

こういう「突然ではないけど忘れた頃に来る出費」が地味に面倒。

オリコで乗ーるでは、 プランによって自動車税や車検・点検、メンテナンスなどを月額にまとめることができる。

毎月いくらかかるか分かりやすい。
↓
大きな出費を管理しやすい。

これが「定額」の強さ。

最安かどうかとは別に、 お金の管理がシンプルになる こと自体に価値がある。

メンテナンスもまとめられる

さらにオリコで乗ーるには、 フルメンテ・ライトメンテ・シンプル といったメンテナンスプランが用意されている。

フルメンテプランなら、契約内容に応じて継続車検、法定点検、スケジュール点検、オイル交換などを月額にまとめられる。

もちろん、 どこまで含まれるかはプランや契約条件によって違う。

ここを確認せず、 「全部コミコミなんだ!」 と考えるのは危険。

広告の一番デカい文字より、条件の小さい文字を見る。

これである。

もちろん、誰にでも向いているわけではない

ここまで見ると、 「カーリース最高じゃん」 となりそうだけど、そう単純でもない。

車を長く所有したい人。

自分の好きなタイミングで売却したい人。

カスタマイズを自由に楽しみたい人。

こういう人にとっては、 「所有する」こと自体に意味がある。

一方で、

初期費用を抑えたい
月額を分かりやすくしたい
新車に乗りたい
維持管理をラクにしたい

という人にとっては、カーリースは検討対象になる。

要するに、 得か損かではなく、使い方との相性。

「所有」って何なんだ

ここが今回いちばん面白いところ。

世の中には、 「持っていること=得」 みたいな空気がある。

車なら所有。

家なら持ち家。

高級品なら所有欲。

もちろん所有には所有のメリットがある。

でも、目的が 「車を所有すること」 ではなく、 「車に乗って移動すること」 なら、 所有以外のルートがあってもいい。

目的と手段を入れ替えない。

これだけ覚えておけばいい。

車が欲しい。
↓
だから買う。

……ではなく、

車に乗りたい。
↓
どうやって乗るのが合理的なんだ?

と考えてみる。

そうすると、 カーリースという選択肢が突然見えてくる。

オリコで乗ーるをチェックしてみた

オリコで乗ーるは、 国産・輸入車約300車種から選べる月額定額のカーリース。

公式サイトには、 月額1万円台から の車種も掲載されている。

さらにメンテナンスプランを選択できるので、 「車を持った後の管理まで含めてシンプルにしたい」という人には候補になりそうだ。

車を買う前に、
一度「買わない方法」も見ておく。

これだけでも、選択肢はかなり増える。

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もちろん、 実際に契約するなら月額だけではなく、 契約期間、走行距離、残価、メンテナンス範囲、契約終了時の条件なども確認したほうがいい。

「月1万円台」という一番デカい文字だけ見て契約する。

これはやめておいたほうがいい。

安いかどうかを見る前に、
「自分は何にお金を払っているのか」を見る。

車を「所有する」のか。
それとも「使う」のか。

その違いを一度考えてから選んでも、遅くはない。

※本記事にはアフィリエイト広告が含まれています。掲載している料金は公式サイト上の概算例であり、車種・グレード・契約期間・走行距離・メンテナンスプランなどによって異なります。契約条件・料金・キャンペーン等は変更される場合があるため、申し込み前に公式サイトで最新情報をご確認ください。

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毛穴の黒ずみ、何をやっても消えない問題。CHPT.9「ポアクリアセラム」が気になった

毛穴の黒ずみ。
何をやっても消えない。
洗顔しても、また気になる。

そんな「毛穴との終わらない戦い」に、ちょっと気になる美容液を見つけました。

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この記事では、CHPT.9「ポアクリアセラム」の特徴や使い方、口コミ、どんな毛穴悩みに向いているのかをまとめています。

毛穴の黒ずみ、何をやっても消えない問題

毛穴。

美容に興味がある人間なら、一度はこいつと戦ったことがあるだろう。

洗顔する。
化粧水をつける。
美容液も塗る。
保湿もする。

それでも鏡を見ると、

「お前、まだそこにいるのかよ」

という黒いポツポツ。

特に鼻。
いわゆる、いちご鼻。

これが妙に目立つ。

しかも厄介なのが、毛穴って 「汚れてるから目立つ」のか「そもそも毛穴が開いてるから目立つ」のか、 素人にはよく分からない。

だから、とりあえず洗う。
もっと洗う。
毛穴パックをやる。
角栓を取る。

そしてまた気になる。

毛穴との戦い、終わらない。

そんな中で見つけたのが、 CHPT.9「ポアクリアセラム」。

名前からして、もう完全に毛穴特化型である。

そもそも「毛穴の黒ずみ」って何なんだ

ここ、意外と重要。

毛穴が黒く見えるからといって、全部が同じ原因ではない。

皮脂や角栓が詰まって黒く見えている場合もあれば、 乾燥や肌のハリ低下などで毛穴そのものが目立っている場合もある。

「毛穴が黒い=毛穴を閉じれば解決」
……とは限らない。

ここを無視して、

「この美容液を塗れば毛穴ゼロ!」

みたいな広告を見ると、

いやいや、そんな簡単なら誰も悩んでないだろ。

となる。

そこで見るべきなのが、

この商品は一体、何を狙っているのか?

CHPT.9 ポアクリアセラムは「毛穴の汚れ」を狙う

ポアクリアセラムは、一般的な「塗って終わり」の美容液とはちょっと違う。

これは洗い流すタイプのオイル美容液。

公式では、角栓汚れを洗浄する 「角栓崩壊処方」を特徴としており、 AHA・BHAなども配合されている。

毛穴に詰まったものを、まず落とそうぜ。

という発想。

ここは非常に分かりやすい。

毛穴がザラザラする。
白い角栓が見える。
鼻の黒ずみが気になる。

そういう人なら、

「なるほど、そこを狙ってる商品なのね」

と理解しやすい。

毛穴ケアって、結局「取りたい」になる

毛穴が気になると、人間はだんだん原始的になる。

角栓を見つける。
↓
取りたくなる。
↓
押す。
↓
さらに気になる。

これ、やりがち。

でも肌からすると、

「お前、なんでそんなに俺をいじめるんだ」

という話である。

毛穴パックでベリッ。
指でギュッ。
ピンセットでチマチマ。

やればやるほど「もっと取らなきゃ」という方向に行きやすい。

だから個人的には、 無理やり取るより、洗い流すタイプのケアのほうが発想としては平和だな と思う。

ポアクリアセラムは、そこにハマる。

「角栓崩壊処方」って何なのか

名前だけ見ると、なかなか物騒である。

毛穴崩壊。
肌崩壊。

なんか最終兵器みたいだ。

もちろんそういう意味ではない。

公式の説明では、角栓汚れを洗浄するための処方ということ。

さらにAHA・BHAなどの角質ケア成分も配合している。

つまり、

「毛穴に詰まった角栓や皮脂汚れを落とす」

というところが、この商品のメイン。

だから、この商品を選ぶなら、 「毛穴そのものが一瞬で消える」 ではなく、 「毛穴を目立たせている角栓や汚れをケアする商品」 として見たほうがいい。

美容液なのに「洗い流す」のが面白い

個人的に気になるのがここ。

普通、美容液って、

塗る。
↓
浸透させる。
↓
そのまま。

というイメージじゃないですか。

ところがポアクリアセラムは、

乾いた顔に塗る
↓
毛穴になじませる
↓
水を加えて乳化
↓
洗い流す

というタイプ。

しかも公式では、使用後のW洗顔は不要とされている。

つまり、 「毛穴ケア用のスペシャル洗顔」 みたいな感覚で使える。

じゃあ本当に毛穴は消えるの?

毛穴そのものが物理的に消えるわけではない。

当たり前だ。

人間なんだから毛穴くらいある。

問題は、 毛穴が目立つ原因を減らせるかどうか。

ポアクリアセラムは、角栓や皮脂汚れを洗浄する方向の商品なので、

  • 鼻のザラザラ
  • 白い角栓
  • いちご鼻
  • 黒ずんで見える毛穴

みたいな悩みには、比較的話がつながる。

逆に、乾燥やたるみなどが主な原因なら、 これ一本で全部解決 とは考えないほうがいい。

毛穴問題は、そんなに単純じゃない。

17種類の美容成分も入っている

毛穴汚れを落とす商品というと、

「洗浄力は強そうだけど、肌がカピカピにならないの?」

という疑問も出てくる。

ポアクリアセラムには、 フラーレン、スクワラン、トコフェロール、ホホバ種子油、ツバキ種子油など、 17種類の美容成分が配合されている。

ここも、 「とにかく角栓をぶっ飛ばす!」 だけの商品ではないところ。

落とす。
でも、その後の肌の状態も考える。

という設計になっている。

口コミも見てみた

口コミを見ると、

「ザラつきが減った」
「洗い上がりがツルツル」
「毛穴ケアに使いやすい」

といった声がある一方、

「黒ずみはそこまで変わらなかった」

という声もある。

まあ、ここは当然といえば当然。

人間の毛穴が全員同じなら美容業界はもっと簡単である。

毛穴の状態も違う。
原因も違う。
肌質も違う。

だから、 「これを使えば全員ツルツル毛穴!」 みたいな話は最初から疑ってかかったほうがいい。

むしろ口コミを見ると、 「角栓やザラつきのケアとして評価している人」 と 「黒ずみそのものが消えると思っていた人」 で感想が分かれているように見える。

この違いはかなり重要だと思う。

こんな人なら試してみる価値はありそう

個人的にこの商品のターゲットが分かりやすいのは、

● 鼻のザラザラが気になる人
● 白い角栓が気になる人
● いちご鼻が気になる人
● 普通に洗顔しているだけでは物足りない人
● ゴシゴシ系の毛穴ケアを卒業したい人

このあたり。

逆に、 「毛穴のたるみをどうにかしたい」 「乾燥で毛穴が目立つ」 という場合は、保湿やUVケアなど別の対策も必要になる可能性がある。

つまり、毛穴なら何でもOKではなく、角栓・皮脂汚れ系の毛穴ケア商品。

そう理解しておくと失敗しにくい。

結局、毛穴って「消す」より「育てない」ほうがいいのかもしれない

毛穴を見つける。
気になる。
いじる。
悪化する。
また気になる。

このループから脱出したい。

だったら、

「見つけたら取る」ではなく
「そもそも詰まりにくい状態を作る」

ほうがいい。

CHPT.9 ポアクリアセラムは、そのための選択肢のひとつ。

毛穴を魔法のように消す商品ではない。

だけど、 角栓や皮脂汚れを洗浄して、ザラつきや黒ずみが気になる毛穴をケアする。

この目的なら、かなり分かりやすい。

CHPT.9 ポアクリアセラムをチェックしてみる

CHPT.9 ポアクリアセラム

30mL
通常価格:2,970円(税込)
公式サイトでは初回1,980円(税込・送料無料)の定期コースも案内されています。

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毛穴に悩んでいて、

「そろそろ適当に洗顔して終わり、は卒業したい」

という人なら、一度チェックしてみてもいいと思う。

毛穴は一日にしてならず。

そして、毛穴との戦いで一番やってはいけないのは、

鏡に近づきすぎること。

近づけば近づくほど、全部見える。

それが毛穴というものである。

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映画『ハート・オブ・ビースト』感想・レビュー|ブラピがポンコツすぎる?『レヴェナント』と比較してみた

久々に映画館へ行ってきた。

今回観たのは、ブラッド・ピット主演の映画『ハート・オブ・ビースト』。

予告編を観たときは「うわ、なんか面白そうやん」と期待していたのだが、結論から言うと、正直かなり微妙だった。

上映開始からわずか3分ほどで「あ、これヤバいかもしれない」という直感が働き、そしてその予感は見事に的中する。

今回は、映画『ハート・オブ・ビースト』を観た率直な感想を、『レヴェナント:蘇えりし者』や『イントゥ・ザ・ワイルド』との比較も交えながら書いてみたい。

ブラピが雑魚すぎる?期待していたタフガイ像とのギャップ

今回の映画で、まず気になったのがブラッド・ピットの描かれ方だ。

ブラピといえば、タフで、強くて、多少のことではへこたれないタフガイというイメージがある。

ところが、今回のブラピはどうにもポンコツに見えてしまう。

「お前、何やってんだよ」

途中から、そんなツッコミが頭の中を駆け巡るようになった。

最初は真面目に観ていたはずなのに、いつの間にか笑いをこらえるのに必死になっていた。

しかも、付き合わされている犬の方が気の毒に思えてくる。

人間が犬を守る映画のはずなのに、犬が人間の面倒を見ているように見える。

この構図が、どうにもシュールだった。

犬もの映画がどうにも苦手な理由

そもそも、俺は犬がそんなに好きじゃない(笑)。

だからなのか、犬が相棒として活躍する映画というものに、あまり魅力を感じない。

犬と人間の絆。無償の愛。命を懸けた友情。

そういうテーマが悪いとは思わない。

ただ、犬が出てくるだけで感動できるような感性は、どうやら俺には備わっていないらしい。

犬を題材にした映画で「これは傑作だ」と思えた作品が、ぱっと思い浮かばない。

もちろん、好みの問題だ。犬が好きな人なら、また違った感想になるのだろう。

ただ、今回に関しては、犬がどうこう以前に、映画そのものに入り込めなかった。

サバイバル映画なら『レヴェナント』の方が見応えがあった

今回の映画を観ながら、何度も頭に浮かんだ作品がある。

レオナルド・ディカプリオ主演の『レヴェナント:蘇えりし者』だ。

大自然の中で、極限状態から生き延びる。

絶望的な状況。自然の脅威。生への執念。

同じように大自然やサバイバルを描くなら、個人的には『レヴェナント』の方が圧倒的に見応えがあった。

もちろん、映画の方向性は違う。

ただ、自然の恐ろしさや、生き残ることの過酷さを映像で体感させるという意味では、完成度に大きな差を感じてしまった。

大自然の中で生き残るというテーマに期待していたからこそ、その落差が余計に気になったのかもしれない。

『イントゥ・ザ・ワイルド』にはあったメッセージ性

冒険映画という括りで考えるなら、『イントゥ・ザ・ワイルド』も印象に残っている。

あの作品には、ただ自然の中で生き残るというだけではない、人生そのものを問い直すようなメッセージ性があった。

自然の中へ向かうこと。社会から離れること。自由を求めること。

そして、その先にある現実。

観終わったあとに、何かを考えさせられる映画だった。

もちろん、すべての映画に深いメッセージ性を求めているわけではない。

娯楽として楽しめれば、それで十分な映画もある。

ただ、今回の『ハート・オブ・ビースト』には、そうした作品としての魅力をあまり感じられなかった。

CG感が強いと大自然の迫力も薄れてしまう

もうひとつ気になったのが、動物や大自然の描写におけるCG感だ。

あからさまなCGが見えてしまうと、せっかくの大自然も一気に作り物に見えてしまう。

映画の中で絶望的な状況に置かれているはずなのに、こちらは冷静に「これ、CGだよな」と考えてしまう。

そうなると、もう感情移入どころではない。

サバイバル映画に求めているのは、自然の脅威をリアルに感じられること。

映像の作り物っぽさが気になり始めると、作品の世界に入り込むのが難しくなってしまう。

感動する観客を見て、なぜか笑いが込み上げる

今回、もうひとつ不思議な現象が起きた。

映画の途中で、周囲の観客がスンスンと鼻をすすり始めたのだ。

おそらく、感動していたのだろう。

犬と人間の絆に心を動かされたのかもしれない。

ところが、こちらはすでに映画に興ざめしている。

ブラピのポンコツぶりに笑いをこらえている。

そんな状況で、周囲から聞こえてくる鼻をすする音。

これが、なぜか妙に滑稽に感じられてしまった。

いや、感動している人たちを馬鹿にしたいわけではない。

ただ、同じ映画を観ているのに、こちらと周囲とで、ここまで感情の温度差があるのかと思うと、なんだかおかしくなってしまったのだ。

映画に感動するどころか、感動している観客の存在そのものが、別のコメディーになってしまった。

我ながら、なかなか厄介な鑑賞スタイルである(笑)。

映画館で2000円払う価値はあったのか

正直に言えば、2000円を払ってまで観る価値があったかと聞かれると、微妙だ。

もちろん、久々に映画館へ足を運べたこと自体は悪くなかった。

大きなスクリーンで映画を観る時間は、やっぱり特別なものがある。

ただ、公開されたばかりの作品にもかかわらず、劇場はかなりガラガラだった。

その光景を見て、妙に納得してしまった。

「まあ、そうなるよな」と。

予告編を観たときの俺は、いったい何を考えていたのだろう。

おそらく、『レヴェナント』のような作品を期待してしまったのかもしれない。

大自然。サバイバル。極限状態。

そうした要素だけを見て、勝手に期待値を上げていたのだろう。

映画そのものというより、頭の中で勝手に作り上げた理想の映画を観に行ってしまったのかもしれない。

映画『ハート・オブ・ビースト』の感想まとめ

『ハート・オブ・ビースト』を観るな、とまでは言わない。

犬が好きな人や、ブラッド・ピットの出演作を追いかけている人なら、楽しめる部分もあるのだろう。

ただ、俺と同じように、大自然のサバイバル映画として『レヴェナント』級の作品を期待しているなら、少し注意した方がいいかもしれない。

個人的には、Amazonプライム・ビデオなどで見放題配信されるのを待ってもいいと思う。

よほど映画館に行きたい気分でもない限り、積極的におすすめするほどではなかった。

久々の映画館。2000円。そして、上映開始3分で感じた嫌な予感。

映画の感想というより、自分の期待値の設定ミスを反省する時間になってしまった。

まあ、こういう日もある。

次はもう少し、当たりを引きたいものだ(笑)。


※本記事は個人の感想です。作品の評価は人それぞれであり、犬が好きな方や作品を楽しめた方の感想を否定するものではありません。

折りたたみスマホは本当に必要なのか?――AppleのiPhone Duo登場で考える「折りたたむ意味」

Appleがついに折りたたみiPhoneを発表した。

2026年9月、Appleは初の折りたたみiPhone「iPhone Duo」を発表。開くと7.6インチのディスプレイになり、Apple Pencilにも対応する。価格は1,999ドル、日本円にするとざっくり30万円クラス。発売は10月23日を予定している。

Appleが参入したことで、いよいよ折りたたみスマートフォンが「一部のマニア向け商品」から一般市場へ本格的に広がる可能性が出てきた。

一方で、個人的には発表を見ていて、どうしてもこう思ってしまった。

「……そこじゃないんだよな」

今回はApple批判そのものではなく、そもそも折りたたみスマホには何の価値があるのかを考えてみたい。

目次

折りたたみスマホの価値は「大画面」なのか

今回のiPhone Duoを見て最初に気になったのが、Appleが折りたたみスマホの価値をかなり「大画面」に寄せていることだ。

開けば7.6インチ。マルチタスクができる。Apple Pencilも使える。

つまり、「スマートフォンなのに、開けばタブレットのように使える」という商品である。

もちろん、それ自体は分かりやすい。

ただ、ここで一つ疑問が出てくる。

「それならタブレットでよくない?」

Z Flipを使って感じる「折りたたむ意味」

私はSamsungのZ Flipを使っている。

だから、折りたたみスマホそのものには否定的ではない。むしろ、折りたたみスマホには普通のスマートフォンにはない明確なメリットがあると思っている。

ただし、そのメリットは、「開いたら画面がデカい」だけではない。

個人的に一番大きいのは、「普段はスマホとして使い、邪魔なときには小さくできる」ということだ。

つまり、スマホとしての携帯性と、折りたたむことによる省スペース性。

ここに「折りたたむ意味」がある。

大画面になることは、その結果として付いてくるメリットの一つに過ぎない。

大画面が欲しいだけならタブレットでいい

例えば外出先で動画を見たいとする。

7.6インチの画面があれば確かに見やすい。

しかし、そもそも外で長時間動画を見る必要があるのだろうか。

動画をガッツリ見るなら、家に帰ればいい。

自宅ならテレビでもタブレットでもノートPCでもいい。

「大画面で動画を見たい」という需要だけを考えるなら、わざわざ30万円クラスの折りたたみスマホを購入する必要性は、それほど強くない。

むしろ、「外ではスマホ。家ではタブレット」という2台構成のほうが合理的な人も多い。

ここが折りたたみスマホの商品設計で非常に難しいところだと思う。

「1台で全部できる」というメリットは、裏を返せば、「1台で全部やる必要がある人」にしか刺さらないからだ。

30万円のスマホを買う人は誰なのか

さらに気になるのが価格である。

iPhone Duoは1,999ドル。日本円にすると為替次第ではあるものの、おおむね30万円クラスになる。

Reutersも今回の製品について「1,999ドルの問い――誰のためなのか」という問題提起をしている。高価格が普及の壁になる可能性や、そもそもどの層を狙った製品なのかについて市場から疑問が出ている。

ここは非常に面白い。

なぜなら、「30万円を払える人」と「30万円を払いたい人」は違うからだ。

30万円のスマートフォンを買える人なら、「スマホは普通のiPhoneにして、必要ならiPadも買えばいい」という選択肢を取れる。

一方で、30万円をスマートフォンに使えない人にとっては、そもそもDuoが選択肢に入らない。

すると、「1台でスマホとタブレットを兼用したい」という需要を狙った商品なのに、その需要を持つ人ほど価格で脱落する可能性がある。

ここが難しい。

「高級スマホ」と「大衆市場」の難しい関係

Apple製品を見ていると、つい忘れてしまいそうになるが、世の中のスマートフォンユーザー全員が毎年最新iPhoneを買っているわけではない。

中古。型落ち。数世代前のiPhone。「まだ使えるからこれでいい」。

こういうユーザーは大量に存在する。

スマートフォンという商品は、実はかなり成熟した市場だ。

電話、LINE、SNS、動画、写真、決済。

普通に使うだけなら、数年前のスマートフォンでも十分に仕事をしてしまう。

そんな市場に、「30万円の新しいスマートフォンです」と投入する。

これはかなり狭い市場を狙う戦略になる。

もちろん、Appleにとっては高価格帯でも利益を出せる。

しかし、「市場そのものを大きく広げる商品なのか?」という視点では疑問が残る。

Appleの参入は市場を広げるのか

ただし、Appleの参入には大きな意味がある。

折りたたみスマートフォン市場そのものが、Appleによって一気に一般層へ認知される可能性があるからだ。

現在の折りたたみスマートフォン市場は、まだスマートフォン全体から見れば小さい。

Reutersも、折りたたみ端末は今後もスマートフォン市場全体では少数派にとどまるとの見方を紹介している。

つまりAppleは、「折りたたみスマホを普及させる」というより、「折りたたみスマホというカテゴリーそのものを一般消費者に認知させる」役割を担う可能性がある。

これはSamsungなど、すでに折りたたみ市場で戦ってきたメーカーにとっても面白い状況だ。

Appleが市場を作ってくれれば、その市場の先行者であるメーカーにも恩恵がある。

皮肉な話だが、「Appleが後から入ってくることで、先行していたメーカーの存在価値が上がる」可能性すらある。

MacBook Neo的な戦略のほうが面白い?

個人的には、今回のDuoよりも、Appleが低価格帯へ市場を広げるような戦略のほうがビジネスとして興味深い。

高級品をさらに高級にするのは、それほど難しくない。

問題は、「Appleブランドを維持しながら、今までAppleを買わなかった層を取り込むこと」。

こちらのほうが市場拡大という意味では難易度が高い。

Appleブランドの価値を守りながら裾野を広げる。

個人的には、こちらのほうがAppleらしい「市場を作る」戦略として面白いと思う。

折りたたみスマホに必要なのは「技術」より「理由」

結局、折りたたみスマホの本質は、「折れること」ではない。

折れるのは技術だ。

重要なのは、「なぜ折る必要があるのか?」という理由である。

小さくしたいのか。大きくしたいのか。持ち運びたいのか。1台に集約したいのか。タブレットを持ち歩きたくないのか。ポケットに入れたいのか。

ここを明確にしないと、「普通のスマホより高いけど、開くと大きくなります」という商品になってしまう。

それなら、「普通のスマホ+タブレット」という代替案が出てくる。

折りたたみスマホが本当に面白いのは、その2台を単純に足し算することではない。

「スマホとタブレットの間に存在する、新しいサイズの使い方」を作れるところにある。

Appleが本当に問われているもの

AppleのiPhone Duoは、折りたたみスマホ市場に大きなインパクトを与えるだろう。

Appleという巨大ブランドが参入することで、「折りたたみスマホ」という存在自体が一気に一般化する可能性もある。

だから、Duoが失敗すると決めつけるつもりはない。

むしろ逆だ。

Appleがこの市場をどう育てるのかは、かなり興味深い。

ただ、個人的には、「ついにAppleも折りたたみiPhoneを出した!」というニュース以上に、「Appleは折りたたみスマホというカテゴリーに、どんな新しい意味を与えるのか?」のほうが気になる。

昔のAppleが強かったのは、既存の商品を単純に高性能化することではなく、「そもそも、それってどう使うものなの?」というところから商品を再定義していたからだ。

だから今回も、「折りたためるiPhone」ではなく、「Appleが考える、折りたたむ意味とは何なのか」を見たかった。

30万円のスマートフォンを買う人間がどれだけいるのか。

そして、その人たちは本当に「大画面」を求めているのか。

それとも、「スマホとタブレットを1台にまとめたい」という別の需要が存在するのか。

この答えが、iPhone Duoの成否を左右するのではないだろうか。

折りたたみスマホは、まだ発展途上のカテゴリーだ。

だからこそ面白い。

「折れるから凄い」ではなく、「なぜ折れる必要があるのか」。

ここを考えると、今回のAppleの参入も、単なる新型iPhoneのニュースではなく、スマートフォンそのものの未来を考える材料になってくる。

ハイブランドとは何なのか?――デザイナー、ブランド価値、ステータスゲームから考えるラグジュアリーファッション

ハイブランドの服やバッグを見ていると、ふと疑問に思うことがある。

「これ、なぜこんなに高いんだ?」

もちろん、高級素材を使っていたり、高度な職人技術によって作られていたりする商品もある。しかし、数万円の製品と数十万円、場合によっては100万円を超える製品を比較したとき、価格差のすべてを「品質」だけで説明することは難しい。

では、ハイブランドの商品には何が乗っているのだろうか。

結論から言えば、ハイブランドが販売しているのは「物」だけではない。

ブランドの歴史、デザイン、希少性、文化、デザイナーの思想、社会的なイメージ、そしてステータス。

これらを含めた「意味」そのものが商品価値の一部になっている。

目次

ハイブランドと一般的なファッションブランドの違い

ファッションブランドの商品を考えるとき、まず分かりやすいのは機能とデザインだ。

服なら、着心地がいい、丈夫、シルエットがきれい、デザインが好み、といった要素がある。

しかしラグジュアリーブランドになると、それだけではない。

例えば同じような形のバッグでも、「どこのブランドなのか」によって市場価格は大きく変わる。

これは単純にロゴ代という話ではない。

そのブランドが何十年、何百年という時間をかけて作ってきたイメージや歴史、デザインコード、販売網、広告、著名人との関係、ファッション業界での評価など、目に見えない資産が商品の価格に含まれている。

つまりハイブランドの商品には、「物としての価値」と「意味としての価値」が同時に存在している。

ハイブランドは「余剰資源の可視化」でもある

ここからは少し意地悪な見方をしてみたい。

高価なブランド品には、富裕層のステータスゲームという側面もある。

例えば100万円のバッグを考えてみる。

そのバッグが10万円のバッグの10倍丈夫なのか。10倍使いやすいのか。10倍長持ちするのか。

必ずしもそうではない。

それでも100万円を払う人がいる。

そこには、

「100万円を払っても生活が揺らがない」
「このブランドを知っている」
「この世界の価値観を理解している」

という情報も含まれている。

つまりブランド品は、ある意味で富裕層の「余剰資源の可視化」とも考えられる。

もちろん、ハイブランドを買う人が全員ステータス目的というわけではない。純粋にデザインが好きな人もいる。

しかし、ラグジュアリービジネスを考えるうえでは「実用性では説明できない価格を、なぜ人は払うのか」という視点は重要だと思う。

ブランドの価値を変える「デザイナー」

そしてハイブランドについて考えるとき、非常に重要なのがデザイナーだ。

同じブランドでも、クリエイティブディレクターやデザイナーが変わると、ブランドの印象そのものが大きく変化することがある。

その代表例の一つがデムナだ。

デムナはバレンシアガにおいて、従来のラグジュアリーとは異なる価値観を強く打ち出した。

オーバーサイズ、ダッドスニーカー、ストリート的な要素、ロゴ、既存の「高級ファッションらしさ」から少し外れたデザイン。

それまでなら「高級ブランドの商品として成立するのか?」と思われるような要素を、ラグジュアリーの文脈に組み込んでいった。

これは単なるデザイン変更ではない。

「何を持っている人間がカッコいいのか」

という基準そのものを変える作業だったとも言える。

デムナとヴェトモンから見る「デザイナーの影響力」

デムナを考えるうえで興味深いのがヴェトモンだ。

ヴェトモンもファッション業界に大きなインパクトを与えたブランドだが、バレンシアガほど一般消費者レベルで巨大なブランドイメージを形成したわけではない。

ここには、ファッションビジネスの面白さがある。

優れたデザイナーであることと、巨大な商業ブランドを作ることは同じではない。

ブランドには、デザイナーの才能だけでなく、ブランドの歴史、商品開発力、販売網、マーケティング、市場規模、資本力、タイミング、消費者との接点など、さまざまな要素が絡んでくる。

つまり「良い服を作れば売れる」というほど単純な世界ではない。

ヴァージル・アブローが変えたもの

もう一人、現代のラグジュアリーファッションを考えるうえで外せないのがヴァージル・アブローだ。

オフホワイトでストリートカルチャーとラグジュアリーを接続し、その後ルイ・ヴィトンのメンズ部門を率いた。

ここで重要なのは、単純に「ストリートブランドが高級ブランドになった」という話ではない。

それまで別々に存在していた、ストリートファッションとラグジュアリーファッションという二つの文化を、より強く接続したことに意味がある。

つまりヴァージルが作ったものの一つは、

「ストリートの感性を持った人間がラグジュアリーを着ることはカッコいい」

という新しい価値観だった。

デムナもヴァージルも、単に商品をデザインしただけではない。

ファッションにおける「カッコいい」の定義を更新した。

ここにデザイナーの本当の影響力があるのではないだろうか。

ハイブランドの「カッコいい」は絶対なのか?

ここで、もう一つ面白い問題が出てくる。

ブランド側がどれだけ「これは価値のある商品です」と提示しても、最終的にそれを評価するのは消費者だ。

同じバッグを見ても、「かわいい」「今っぽい」「このブランドだから欲しい」と思う人もいれば、「ロゴが目立ちすぎる」「もっとブランドを主張しない方がいい」「自分には合わない」と思う人もいる。

つまり、ハイブランドだから誰にとってもカッコいいわけではない。

評価する側の年齢、所得、ファッション経験、文化的背景、流行への感度によって評価は変わる。

若い世代には魅力的に見えるデザインが、別の世代には派手に見えることもある。

逆に、ブランドロゴをほとんど見せない「分かる人には分かる」デザインを好む層もいる。

ここまで来ると、面白いことが分かる。

「ブランドを大きく見せること」と「ブランドを目立たせないこと」の両方が、ステータス表現になり得る。

大きなロゴを見せることでブランド価値を表現する人もいれば、「ロゴを見せなくても価値が分かる」ということ自体を楽しむ人もいる。

どちらが正しいという話ではない。

評価する市場が違うだけだ。

ハイブランドは「価値」を販売している

ここまで考えると、ハイブランドを単純に「高級な服屋」と考えるより、少し違った見方ができる。

ハイブランドは、

物質+デザイン+歴史+文化+希少性+ステータス

を一つの商品にまとめて販売している。

だから、商品の原価だけを見ても価格は理解できない。

デザイナーがブランドの方向性を変え、ブランドが新しい文化を作り、それを消費者が評価する。

その結果として「この商品には、この金額を払う価値がある」という市場が形成される。

つまりハイブランドとは、服やバッグそのものを販売しているだけではない。

「この商品には、どんな意味があるのか」

という価値そのものを販売しているビジネスなのだ。

ハイブランドを見るときに面白いのは「物」ではなく「市場」

結局、ハイブランドの面白さは、服の良し悪しだけではない。

誰がデザインしたのか。どんな時代だったのか。どんな文化と接続したのか。どんな人たちが支持したのか。なぜその価格でも売れたのか。そして、なぜ同じ商品を見ても人によって評価が違うのか。

こうやって見ていくと、ファッションは単なる衣服ではなく、文化と経済と心理が交差する市場に見えてくる。

ハイブランドとは、単に「高い服」ではない。

人間が「何に価値を感じるのか」を、最も分かりやすい形で見せてくれる市場の一つなのかもしれない。

そして、その価値観を更新する中心にいるのがデザイナーだ。

だからファッションを眺めるとき、単純に「これ高いな」で終わらせるのではなく、

「このデザイナーは、何をカッコいいものとして再定義したのか?」

と考えてみる。

そうすると、ハイブランドは一気に面白くなる。

今はやりの女風の実態――「モテる男」の幻想をぶった斬る

最近、「女風」という言葉を目にする機会が増えた。女性向け風俗。いわゆる女性用の性的サービスだ。

こういう業界の話を外から見ていると、「女性から選ばれる男」「セックスが上手い男」「イケメン」「清潔感のある男」など、いわゆる世間一般の「モテる男」のイメージと結びつけて考えがちだ。

しかし、実際に業界を見てみると、どうも話はそんなに単純ではない。

むしろ面白いのは、「その業界で売れる男」と「一般社会でモテる男」は、必ずしも一致しないということだ。

ここを一緒にしてしまうと、「俺は女にモテる」という、とんでもない勘違いまで生まれてしまう。

女風で売れる男=一般女性にモテる男、ではない

まず大前提として、女風は「恋愛市場」ではなく「サービス市場」だ。

客はお金を払ってサービスを受けに来る。つまり、そこで評価される能力は、一般的な恋愛で女性から選ばれる能力とは違う。

極端な話、普通の恋愛市場では全然モテない男性でも、特定の客層から強烈に需要があれば商売として成立する。

これは別に女風に限った話ではない。キャバクラの人気キャストが、店の外でも男性からモテるとは限らないのと同じ。「その市場で売れる能力」と「別の市場で選ばれる能力」は違う。

女風の場合はさらに特殊で、性的サービスそのものに対してお金を払う客がいる。だから、そこで評価されたからといって、

「俺は一般女性からもモテる」

と結論づけるのは早すぎる。

魚市場で高値がついた魚が、八百屋でも高値で売れるわけではない。

市場が違えば、需要も評価基準も変わる。

「セックスが上手い男はモテる」という幻想

ここもかなり大きな幻想だと思う。

「セックスが上手い男はモテる」。よく聞く話だ。

しかし、冷静に考えてみれば順番が逆だ。

セックスをするところまで関係が進まなければ、その技術を披露する機会すらない。

一般的な恋愛では、出会う→会話する→興味を持たれる→また会う→距離が縮まる→性的関係になる、という段階がある。

つまり、「セックスが上手い」という能力は、恋愛市場における数ある能力の一つにすぎない。

それ以前に必要なのは、そもそも女性から「この人と会ってみたい」と思われること。

だから、セックスが上手い=モテるではない。

これは女風を見ていると、むしろ分かりやすい。

性的サービスとして売れることと、普通の恋愛で女性から選ばれることは、まったく別のゲームなのだ。

性感サービスを「モテ」と勘違いすると、さらに話がおかしくなる

性感系のサービスになると、もっと分かりやすい。

そこでは「女性から性的サービスを求められる」という現象が起きる。しかし、それは必ずしも「一人の男性として恋愛的に惚れられている」という意味ではない。

客はサービスを買っている。

ここを混同すると、

「俺はこんなに女性から求められている」

という自己認識が生まれる。

しかし、その「求められている」の中身は何なのか。

恋愛なのか。性的欲求なのか。疑似恋愛なのか。接客への対価なのか。単純な癒やしなのか。

そこを分解しないと、「モテ」という言葉が何を意味しているのか分からなくなる。

色恋系になると、今度はホストに近づいていく

一方で、いわゆる色恋系になると話は変わってくる。

こちらはむしろホストに近い。

ビジュアル、会話、雰囲気、演出、疑似恋愛、営業。

単純な性技だけではなく、「この人に会いたい」と思わせる総合的な接客能力が重要になる。

そして、ここでも世間がイメージする「モテ男」とは少し違う。

売れている人間が、必ずしも聖人君子とは限らない。

むしろ商売として成立させるためには、客との距離感をコントロールしたり、相手の感情を動かしたり、営業をかけたりする必要がある。

要するに、「性格がいいからモテる」という単純な世界でもない。

そしてホストを見ても「モテる男」の幻想が壊れる

ホストというと、世間では「女性にモテまくる男たち」というイメージがある。

しかし、ここにも面白いズレがある。

売れっ子ホストだからといって、必ずしも世間で語られる「モテ男テンプレ」を完璧に実践しているわけではない。

爪が伸びていることだってある。

いわゆる「清潔感」の教科書から外れている部分があっても、売れる人間は売れる。

なぜなら、女性が男性を選ぶ基準は「爪が短いかどうか」だけではないからだ。

もちろん最低限の清潔感は重要だ。

でも、それを「爪を整えればモテる」「服装を整えればモテる」「美容に金をかければモテる」という単純な公式に変換すると、途端に現実から離れていく。

さらに面白いのが「ホスト=ナンパが上手い」でもないこと

これも外から見ると意外かもしれない。

ホストは女性相手の仕事なのだから、当然街でも女性に声をかけまくれると思う。

ところが、実際にはそんな単純な話ではない。

ホストとして店内で客を楽しませる能力と、街中で見知らぬ女性に声をかけて関係を作る能力は別スキルだからだ。

キャッチに出ても、スマホをいじりながら立っているだけの人間だって普通にいる。

つまり、

「女性客を接客できる」
「店で売上を作れる」
「色恋営業ができる」
「ナンパができる」
「一般女性から恋愛対象としてモテる」

これらは全部、似ているようで違う。

じゃあ「モテる」って何なんだ?

ここで一度、「モテる」という言葉そのものを疑ってみたい。

「モテる」と言っても、店で女性からお金を払って選ばれる、性的サービスを求められる、疑似恋愛の相手として選ばれる、街で知らない女性から好意を持たれる、恋人として選ばれる、長期的なパートナーとして選ばれる……では、意味がまったく違う。

なのに全部まとめて、

「女性にモテる男」

と呼んでしまう。

ここに大きな罠がある。

女風で売れている男性。ホストで売れている男性。ナンパで結果を出す男性。普通の恋愛市場でモテる男性。

この4種類は、意外と重ならない。

「売れる場所」が違えば、必要な能力も違う

結局、男の価値なんて一つのランキングではない。

女風には女風の市場がある。ホストにはホストの市場がある。ナンパにはナンパの市場がある。普通の恋愛には普通の恋愛の市場がある。

そして、それぞれ評価される能力が違う。

だから、

「俺はこの場所で売れている」

という事実から、

「俺は女性全般からモテる」

という結論を導くことはできない。

これは男性だけの話ではない。

人間は、自分が評価された場所を「世の中全体から評価された」と錯覚しやすい。

でも実際には、

「その市場で、その客から、その理由で評価された」

だけなのかもしれない。

女風とホストが教えてくれる「モテ」の正体

女風やホストを見ていると、「モテる」という言葉がいかに雑な概念なのかが見えてくる。

セックスが上手いからモテるわけではない。

爪を整えればモテるわけでもない。

イケメンなら必ずモテるわけでもない。

ホストだからナンパが上手いわけでもない。

女風で売れているから一般女性にモテるわけでもない。

逆に言えば、世間で「モテるための必須条件」として語られているものの中には、実際には単なる一要素にすぎないものも多い。

モテとは何か。

結局のところ、「誰から」「どこで」「何を理由に」選ばれているのかを抜きにして語ることはできない。

女風で売れる男。

ホストで売れる男。

ナンパでモテる男。

恋愛でモテる男。

全部「女性から選ばれる」という一点では似ている。

でも、その中身はまったく違う。

だからこそ面白い。

「売れている男=モテる男」という幻想を一度ぶっ壊してみると、男の市場価値というものが、意外なほど相対的なものだと分かってくる。

そしてたぶん、本当に考えるべきなのは、

「俺はモテるのか?」

ではない。

「俺は、どの市場で、誰から、何を理由に選ばれているのか?」

こっちなのだ。

「なんでもテスト」を久しぶりに再開します

久しぶりに「なんでもテスト」の更新を再開します。

このブログを始めたのは2019年。名前の通り、「なんでもテストする」というくらいの軽い気持ちで始めました。

特に明確なテーマがあるわけでもなく、SEOを極めようとしたわけでもなく、ただ思いついたことを書いてきたブログです。

気がつけば、記事数は555記事以上、投稿した日数も541日。

累計アクセスも3万PVを超えています。

数字だけを見ると「よく続けたな」と思う一方で、ブログ運営の成果として見ると、正直かなり微妙です。

読者はほぼ増えず、コメントもほぼなく、アフィリエイト収益も年間で数百円~数千円程度。

500記事以上書いて、この程度かよ。

これが率直な感想です(笑)。

500記事書けば何かが起こる……わけではなかった

ブログ界隈では昔から、「毎日1年間書けば何かが変わる」「100記事書けばアクセスが増える」みたいな話があります。

しかし、自分の場合はそうでもありませんでした。

500記事以上書いたからといって、自動的に読者が増えるわけでもなければ、収益が発生するわけでもない。

結局のところ、記事数だけでは何も決まりません。

テーマ、検索需要、タイトル、記事内容、SEO、導線、デザイン、収益化方法……。

いろいろな要素が噛み合わなければ、ただ記事が増えていくだけです。

そういう意味では、「なんでもテスト」はブログを収益化するという目的だけで評価すれば、かなり失敗したブログだったと思います。

ただ、それでも完全に無駄だったとも思っていません。

ブログを書くこと自体が「雑念対策」になる

そもそも最近になって、ブログを書く意味を少し違う角度から考えるようになりました。

現代はYouTube、SNS、ニュース、ショート動画など、とにかく暇つぶしの選択肢が多い。

何も考えずにスマホを触っていると、いくらでも時間が溶けていきます。

そして厄介なのは、情報を大量に消費しているのに、頭の中はたいして整理されていないこと。

そこでブログを書く。

「自分は何を考えているのか?」

「そもそも、この考えは正しいのか?」

「反対側から見るとどうなるのか?」

「実際に試したらどうなったのか?」

こういうことを文章にしていくと、頭の中にあるモヤモヤが少しずつ外に出ていきます。

だから最近は、ブログを「思考のサンドバッグ」くらいに考えています。

別に誰かに読まれなくてもいい。

文章にすることで、自分の考えを整理できれば、それだけでも多少の意味はある。

そして今は「AI」という強力な道具がある

以前は、ブログを書くとなると、テーマを決めて、構成を考えて、文章を書いて、読み直して、修正して……と、全部自分でやる必要がありました。

これが地味に面倒くさい。

頭の中には書きたいことがあるのに、「文章にする作業」が面倒で、そのまま終わることもあります。

ところが今はAIがあります。

自分が思いついたことを雑に投げても、ある程度整理してくれる。

「これって本当にそうなの?」と聞けば反対意見も出してくれる。

「この記事にするとしたらどういう構成になる?」と聞けば、たたき台も作ってくれる。

もちろん、AIを盲目的に信用しているわけではありません。

モデルによって回答が違うこともあるし、同じAIでも回答の質が安定しないことがあります。

だから自分の場合、AIは「先生」というより、セカンドオピニオン兼、思考の壁打ち相手くらいの位置づけです。

最終的に判断するのは自分。

AIに考えてもらうというより、AIを使って自分の考えをもう一段掘り下げる。

この使い方なら、ブログとの相性はかなりいい。

今までなら「頭の中にはあるけど、わざわざ記事にするほどでもない」と放置していたネタも、AIを使えば文章にするまでのハードルがかなり下がります。

だから、もう一度「なんでもテスト」を動かしてみようと思いました。

これから何を書くのか

特にジャンルを絞るつもりはありません。

何しろブログ名が「なんでもテスト」です(笑)。

仕事、転職、お金、消費、SNS、AI、本、旅行、生活、ちょっとした疑問、実際に試してみたこと。

その時々で興味を持ったことを書いていきます。

「検索需要があるか?」

「収益になるか?」

「読者に役立つか?」

もちろん、こういう視点も必要だと思います。

ただ、それだけを考えていると、結局「何を書くか」より「何なら儲かるか」が中心になってしまう。

それでは、昔の「なんでもテスト」とは少し違ってきます。

だから基本的には、

「これ面白そうだから調べてみた」

「こう思ったけど、本当にそうなのか?」

「実際に試してみたらどうなった?」

くらいの感覚で書いていこうと思います。

「なんでもテスト」は、たぶんこれからも完成しない

2019年に始めて、500記事以上書いて、それでもまだ「完成したブログ」にはなっていません。

というより、たぶん完成することはないのでしょう。

思いついたことを試す。

書いてみる。

反応を見る。

ダメならやめる。

面白ければ続ける。

その繰り返し。

ブログを成功させることだけを目的にするのではなく、自分の頭の中にあるものを外に出す場所として、もう一度使ってみようと思います。

500記事以上書いても大した成果が出なかった男が、今さら何をテストするのか。

それも含めて「なんでもテスト」です。

さて、次は何をテストしようか。

オーマイティースに行ってみた感想

 

 

ホリエモンが有料メルマガで

歯列矯正ならオーマイティースの先生がいい感じだったよ。

ってコメントしてて早速チェック。

 

 

 

 

まだ大阪南堀江のスタジオができる前から

梅田の歯医者→青山→南堀江と

全部行った感想を

赤裸々に綴っていきたいと思います。

 

 

 

まず、結論から。

 

 

最初の診断で

矯正期間は約5ヶ月って話だったけど

後半から延長に延長を重ねて

結局半年かかりました。

 

 

しかも、治ってねー囧rz

 

 

 

 

 

追加矯正で3ヶ月延長。

 

 

 

 

 

正直、ダメだこりゃ。って思ってます。

 

 

 

 

 

 

思えば初めから

嫌な予感はしていました。

 

 

梅田のクローバークリニックで間借りしてた時も

クリニックわかり辛いし

(歯医者だらけのビルで、同じフロアに2つクローバークリニックがある迷路っぷり)

 

クローバークリニックは予約取れないから

系列店で虫歯治療してもらったけど

 

詰め物は取れるし、受付は愛想悪し、べちゃくちゃ喋ってるし、、

 

 

そしていざ研磨となったら、若い先生が

んー?、、はぁ、、

んーーーーーー、、、よし、、

んーーーー

 

とか言いながら施術。

 

大丈夫かよコイツ、、

 

 

 

あと研磨直前になって

 

「ねじれのある歯は、マウスピース矯正では

治りにくいのですがご了承いただけますか?」

 

 

って、直前にゆーなよ

 

 

今更「それなら、やっぱやめます」とはいかんだろ。

 

 

 

 

 

そして後々気付いたのだが

矯正開始前のレントゲン撮り忘れてて

歯列矯正すると歯の根本(歯茎に隠れている部分が)

短くなることがあるらしいのだが

 

それすら確認できない始末。

 

当院の矯正治療の特長 | 倉敷市の歯医者 ふくしま矯正歯科

 

「多分大丈夫だと思います。」

だって

 

 

嘘やろ、、

 

 

どんだけテキトーだよ

 

 

 

 

 

 

 

追加矯正で歯に10個くらい

チップつけるんだけど

 

 

 

最初から、それ付けてくれよ。

二度手間やんけ。

(しかも次の日に1個取れた。)

 

 

時間も交通費もどんどん加算され

 

33万で始めた矯正も

総額いくらになったのやら、、

 

 

 

ついでにいうと

途中でマウスピースの形変わって

まだまだ成長過程の

スタートアップ企業なんだなと痛感。

 

 

 

働いてる子も若い子ばかりで

 

スタイリッシュな店内で

”汚ったないスニーカーの女子が受付してくれる”

大学の文化祭的な気分になってきます。

未来の歯科体験を目指して!2021年のOh my teeth振り返り|Oh my teeth|note

 

 

 

 

オーマイティース??

Twitterとかに口コミ全然ないけど大丈夫なの??

 

って歯列矯正してた女の子に

心配されたけど的中しました。

 

 

 

 

 

 

正直マウスピース矯正なんて

脱毛と同じで、どこも同じモノ(機材)を使ってるんだから

近場の評判の良い歯医者さんでやることをおすすめします。

 

 

 

 

また随時、結果報告

リライトしていくので

コメントしていただけたら参考になります。

 

 

 

ではまた