謙遜JAPの悲劇
日本人にとって謙遜は美学であり文化だ。
だが、謙遜は誰でも扱っていい代物ではない。
謙遜、質素倹約とは
あくまで金持ちの作法であり
貧乏人(一般階級)がしたところでなんの振り幅もない行為。
人間の魅力とは、振り幅であるように
金持ちが謙遜するから価値がでる
貧乏人が謙遜したところでそれはただの弱音
できない新入社員などでよく見かけるのは、褒めても「いえいえとんでもないです、私なんか全然ダメです」と謙遜の真似事する光景
それ自体が傲慢なのだ。
謙遜とは自分はできていると自覚した上であえてそれを出さない美学。
褒める所ない新人を必死に褒めどころを探して叱咤激励しても
いちいち「そんなそんな、、」と謙遜されても
「いや、わかってるわ」というのが本音。
そこで「ありがとうございます!」素直によろこぶ愛嬌があるやつは伸びる。
上司からしたらわざわざない褒めどころを探してもっと別の角度で褒めてくれと謙遜するより
わざわざ褒め所を探してくれたこと自体に感謝してくれる奴の方が可愛がりやすい
多くの日本人は勘違いしているが謙遜は金持ちの戯言
貧乏人はどんな手段を使ってでも泥に塗れてチャンスを掴んでいかなければならない
欲しいモノは自分で掴みにいくのが下流の作法
欲しいモノは周りが集めてくれるのが上流の在り方なのだ。
些細なことから泥臭く
電車の席だって遠慮して譲るのではなく一歩踏み込んで奪ってナンボ
席を譲りたいなら上流階級になってそもそも電車に乗らなければいい
席を譲って上流階級の真似事をしたところで
それは貧乏人同士の傷の舐め合いに過ぎない
些細な事から始めよう
欲しいモノは全て自分の力で手に入れるということを
些細な事を集めているうちに
それは山となる